この記事は、「水族館の偉い人の成功談」ではありません。私は大阪府東大阪市で生まれ、ニュージーランドで育ちました。生物に関わる仕事とは無縁の20年でしたが、いまは水族館の館長をしています。胸を張って「水族館を語れます」と言えるほど立派な人間ではないし、今も勉強中です。ただ、そんな私が22歳のときに、渓谷を持つ日本最大級の小さな水族館をつくりました。水族館特集として執筆の機会をいただいたので、こんな機会に、ここ数年の話を書いてみようと思います。
本文は、現場の情景と、やったこと・考えたことを行き来しながら進めます。同世代のみなさんが、少し時間が空いた時に「こんな人もいるんだ」と気軽に読める そんな読み物になれば幸いです。
赤目四十八滝に出会う

伊賀と大和の国境を流れる滝川。その上流に、いくつもの瀑布が連なって渓谷を削り出した場所に、赤目四十八滝という観光地があります。室生赤目青山国定公園の中心に位置し、渓谷は約4kmにわたって続きます。滝をつなぐ回遊路(遊歩道)は約3.3km。散策やハイキングとして、無理なく自然を味わえる距離感でもあります。

私が赤目四十八滝を初めて訪れたのは、21歳の冬でした。目的は観光ではなく、オオサンショウウオのフィールド調査。正直に言えば、その時の私にとって赤目四十八滝は、有名な観光地ではなく、ただのオオサンショウウオ生息地のひとつという認識でした。ところが、渓谷の入口に立った瞬間、目の前に広がったのは想像よりずっと澄んだ景色でした。滝がきれいで、空が抜けていて、川の音がやけに近い。一目で「良い場所だな」と思いました。同時に、おかしいなと疑問が湧きます。
朝田館長なんでこの場所、有名じゃないんやろう。


赤目四十八滝は、渓谷に一歩入ると空気が変わります。湿り気のある匂い、耳にずっと残る水音。観光地としての顔と、フィールドとしての顔が、同じ場所に重なっている。何より、どんな人でも簡単に自然を満喫できるよう、遊歩道がきちんと整備されている。人が何不自由なく散策できるほど丁寧に管理している山や渓谷は、そう多くありません。そんな強い舞台の入口ど真ん中に、少し不思議な建物がありました。『日本サンショウウオセンター』です。


よくよく考えると、その入口の風景は少し残酷でした。「人、全く来てない。」 ここって観光地やんな? こんな人来ない観光地、大丈夫なんか。ところが私は、まったく逆のことも思ってしまいます。



めっちゃええ施設やん
……めっちゃええ施設なんかい、と。
建物は古びている。でも中には水槽が並んでいる。大人気の生物、オオサンショウウオが、人に見られることもなく、小さな水槽にただ静かに収まっている。ここには、素材がある。そして何より、置かれている場所が強すぎる。滝が連なる、唯一無二の渓谷の入口。ここを入口として機能させられたら、どれだけ人の流れが変わるだろう。そして私は思いました。



これ、水族館にできそうやん
日本サンショウウオセンターはいわば研究施設のようなもので、通路のような作りにもなっており、水槽内で飼育している主にオオサンショウウオを見られました。建てられたのはかなり昔で(1962年)であり、そのもう一つ前は、地面をくり抜き鑑賞する「観魚室」のようなスタイルでオオサンショウウオを見ることができた場所にもなっていたそうです。水族館では無いけれど、かなり古くからの歴史ある場所です。


私は、水族館は結構好きなほうで、近辺の似た施設は網羅していました。自然の風景が見られる場所も割と好きな方です。それでもこの場所は知りませんでした。こんなに良い場所に、こんなに良い素材があるのに、誰にも届いていない。「もったいなぁ」という気持ちが、その時、私の中に、残りました。
波に乗ってみて分かること




数か月後、出来事は思ったより早く動きました。
日本サンショウウオセンターで飼育を担当していた職員の方が、辞めることになったのです。そして巡り巡って、私のもとにこんな話が来ました。
オオサンショウウオの世話係をやりませんか?
その言葉を聞いた瞬間、私はなぜか、「流れが来た」と感じました。
こういう感覚は説明が難しいのですが、私は普段、よく考えて行動するタイプです。考えて、考えて、考え抜くのですが、ときどきその思考が一周回って、最後は考えないに辿り着くことがあります。十分に考えたうえで、最後の最後は理屈ではなく感覚で決める。その感覚は、例えるなら「波」ですね。サーフィン分かりますよね。遠くに波を見たとき、「この波良いかどうかわかりますか?」良いか悪いかなんて、その後に大体わかるもんです。そして波が来ているのに、浜辺で考え続けていたら、たぶん何も起きません。だから私は、その波が来たときは、余計に考えず乗るようにしています。
日本サンショウウオセンターを初めて見た日に、頭の片隅に残っていた水族館構想。あれが、現実にできるかもしれない。私は、この施設を水族館化するという条件で、その冬に来た波に乗ることにしました。オオサンショウウオの世話を引き受け、ここに関わる。入口に立つ。そして、やってやろう。そう思いました。


さて、そう決めたはいいものの、次に出てきたのは素朴な疑問です。



あれ、そういえば私は何をすればいいんだ?
これは仕事なのか?そういえば他のスタッフは?最初は、まさかのボランティアでした。正直、驚きました。期間にして、たぶん4か月ほど。私はオオサンショウウオの世話をするためだけに、大阪からこの施設へ通っていました。日中は自分の仕事があるので、飼育作業は夕方から夜にかけてが中心になります。薄暗くなって、渓谷の空気がさらに冷たくなる時間帯。施設の中では低い音が鳴っていて(除湿器)、水槽の水面が静かに揺れている。そこで私は、餌やりや掃除をして、翌日の自分の動きを想像しながら手を動かしていました。


もう一つ驚きの事実、施設と生物の管理は実質スタッフ0人。赤目四十八滝の渓谷内や、街を管理するスタッフはいるのに、施設の中を回していく人がいないわけです。
今思えば、だいぶおかしな話です。そもそも、まだ何者でもないただのボランティア。肝心の飼育員や、水族館にしていくメンバーは誰一人いない。それなのに、頭の中ではもう「水族館構想」が動き出している訳ですね。立場も、段取りも、何も追いついていませんでした。


そして4月。こんな状態では、水族館にするどころか、オオサンショウウオの世話すら続けられない。乗り気ではありませんでしたが、私は社員として赤目四十八滝を整備する会社に入ることになります。


あとから知ったのですが、赤目四十八滝はもともと、20~30年前には年間30万人を超える人が訪れていた観光地でした。ところが私が来た頃には年間9万人台まで落ち込み、長く赤字が続く観光地になっていました。数字だけ見ても十分に重いのですが、現場の空気はもっと分かりやすかったです。門前の飲食店にはシャッターが下りたままの店が目立ち、典型的な過疎化の景色が入口のすぐそばにありました。今になって取材を受けていると、だいたい聞かれます。「なんでそんなところ入ったんですか?」って。今になって状況を知ったうえで誘われていたら、問答無用で断っていたと思いますよ。当時21歳。将来の不安とか、そのくらいの歳なら、普通はものすごく考える年齢だと思います。それなのに私は、あの場所に、あのタイミングで、ほとんど何も知らずに足を踏み入れました。今振り返ると、恐ろしいなと思います。
ただ、あの時の私は、はっきり言って結果を出せる謎の自信しかなかったし、数字より先に「もったいなさ」を見てしまったんだと思います。だからこそ、入口を変えれば、景色は変わる。そう感じていました。
※もったいなさ=スペックが高いのに、その価値を最大限発揮できていない。
まず、水族館ってどうやって作るんですか。今でも正直よく分かっていません。水族館とはって話になってしまうと思うのですが、知れば知るほど難しいなあと思います。生物を水槽の中に入れ、人に見せる。要は「展示」をするって施設だと思うのですが、この「展示」という二文字が、とんでもなく面白いのです。
私の感覚ですが、何かがあるとします。平面であり、立体である。とか、論理的であり感情的である。静止画であり、映像であり、音源でもある。というような訳の分からないもの。これはその何かに詰まっている複雑な情報で、1つ1つに、100%詰まっています。その詰まっている複雑な情報を、できるだけ最大限伝えられるようにしましょうよって感覚です。 話始めると、止まらない謎の文章になりそうなので止めます。まあ、日々試行錯誤しながら正解を追っています。
水族館、どう作る?


結論から言うと、私は21歳で、古びた施設『日本サンショウウオセンター』を、水族館にするために動き出しました。そして本当にちょうど1年後、22歳の4月20日に『赤目滝水族館』が形になります。1年は短いようで、内容はものすごく濃かったです。あっという間でしたね。
赤目滝水族館にする前に、一つだけ最初から決まっていたものがあります。それはこの施設のあるべきコンセプトです。小さな古びた施設が水族館を名乗るなら、建物の中だけで勝負してはいけない。立地を生かし、奥に広がる赤目四十八滝の景色や生物、植物そのものを、展示として使う。


私が思い浮かべていたのは、あの有名な映画『ジュラシックパーク』でした。もし現実にあったら、絶対に行きたいじゃないですか。


オオサンショウウオは「生きた化石」と呼ばれることがあります。海外の人にとっては、なおさら恐竜みたいな存在に見えるらしいです。実際、オオサンショウウオを野生で見るためにガイドしたことがありますが、ヨーロッパの方はとんでもなく興奮していました。そりゃそうですよね。図鑑や博物館でしか見たことがないような生き物が、目の前の川にいるのですから。
そしてジュラシックパークを想像したもう一つの理由は、あの施設が「檻の中だけ」で完結していないってことです。恐竜は外にいる。入口の施設は、入っていくための装置になっている。赤目四十八滝も同じです。流れに潜むオオサンショウウオはもちろん、ニホンカモシカやムササビ、川へダイブするカワセミなど、運が良ければいろんな生き物に出会える。そんな場所へ入場する入口の施設として水族館があればいい。自然も丸ごと水族館。私はそれを想像しました。




ここでよく、「ずるい」「馬鹿なのか」と言われることがあります。はい、ずるいですよ。だって、そうしないとただの小さな老朽化施設ですから。その場所にしかないものや、特性、環境を生かしたモノづくりをする。言い方が悪ければ、ずるさかもしれないです。でも私は、このずるさが、モノづくりの根幹だと思っています。馬鹿なのかは知りませんが。
さて、コンセプトは決まった。よし、水族館を作るぞ。それをきっかけに観光地を再生して、結果も出したい。そう思い始めたのは良いものの、次に来たのは現実でした。で、何からやればいいんだ?


やらないといけないことは山ほど思いつきます。水族館といえるような大きめの水槽を作りたい。館内の水槽は増やしたい。オオサンショウウオだけでなく数多くの生物、特にこの渓谷に入る前なんだから、ここで見られる地域の生物を採集するぞ。頭の中にはアイデアがいくらでもありました。でも、ふと気づくんです。



この観光地、お金ないわ
そりゃそうですよね。ずっと赤字ですから。
何から手を付けようか迷っていた、2023年5月ごろ。動き出して1か月くらい経った頃だったと思います。ふらっと、何やら見たことのある人がカメラを持って訪れてきました。その人は、水槽をまじまじ見ると小型のカメラを使って写真を撮っており、見ている時間も長く、何か考えながら見ている。そんな様子でした。水族館のことを少しでも知っていれば名前を聞いたことがある、水族館プロデューサーの中村元先生でした。はじめてお話ししたのですが「一人で飼育してるんですよ」と言うと驚いていました。


水族館にしようと決めて、水族館ではない施設に来て、たった1か月後に水族館のプロフェッショナルとその施設で出会う。しかも連絡を取っていたわけでもない。おそらく本当に偶然、私がこの施設に来ることになったタイミングで来られたのだと思います。引き寄せの法則と言いたくなるくらい運が良い。それ以外、言いようがありません。こうして私は、赤目滝水族館のプロデューサーでもある中村先生と出会いました。先生もたぶん面白かったのかなと思います。水族館になりそうな場所で、スタッフはほぼ一人。何もできない若造が、何かを始めようとしている。


そこからは本当にお世話になりました。水族館の基本、水槽の作り方、PRの考え方、そもそも水族館とは何たる施設か…
今でも教わり続けていますが、当時の無知な私には、理解できない部分も多々ありました。それでもかなり勉強させて頂きました。そしてここから、渓谷を持つ日本最大級の小さな水族館「赤目滝水族館」を、本格的に作る段階へ入っていきます。
おわりに


そんなこんなで赤目四十八滝という場所に出会って3年ほど経ちました。今書いていたのは、水族館になる場所に出会い、実行するまでの出来事です。その後完成したとはいえ、課題は山ほどあり、直面し、常にぶつかっております。まだまだ人に教えられることなんてありません。大人はよく、「若いうちは」なんて言いますが、年齢はやるかやらないかの判断基準にならないと、私は思っています。若いと言われる年齢の内から、エネルギッシュになれる何かがある。そんな方たちは…
なんか、一緒に頑張りましょう
赤目四十八滝渓谷保勝会/赤目滝水族館 執行責任部長/館長
朝田光祐 2001年9月24日(24歳)
車の場合
- 東京方面より:東名・東名阪・名阪経由…約7時間
- 名古屋方面より:名高速・東名阪・名阪経由…約2時間30分
- 大阪方面より:西名阪・名阪経由…約2時間
電車の場合
- 大阪方面より:(近鉄特急)→大和八木駅→赤目口駅…54分
- 名古屋方面より:(近鉄特急)→名張駅→赤目口駅…1時間39分
- 京都方面より:(近鉄特急)→大和八木駅→赤目口駅…1時間29分






