はじめに
ワシントン条約(CITES)は、絶滅の危機にある野生動植物の国際取引を制限する国際的な取り組みです。
1975年の発効以来、日本を含む180以上の国と地域が加盟し、多くの生き物の命を守ってきました。
しかしこの「正義の条約」も、すべてが完璧というわけではありません。
動物たちを守るルールが、時にその保護や管理を難しくする“足枷”になってしまうこともあるのです。
本記事では、そんなワシントン条約の「明」と「暗」を見つめ直してみます。
ワシントン条約とは?
かんたんに言うと…
ワシントン条約は、「絶滅しそうな動物や植物を、勝手に売ったり買ったりしてはいけません」という世界の約束です。
ゾウのキバやウミガメのこうら、トラの毛皮など、高く売れる動物たちがどんどん減ってしまわないように、国どうしで決めたルールなのです。
くわしく言うと…
ワシントン条約(CITES:Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)は、絶滅のおそれのある野生動植物の国際取引を規制するための国際条約で、1975年に発効されました。
2025年現在、約6,610種の動物と約34,000種の植物、合計4万種以上が掲載されています。
日本を含む183の国と地域が加盟しており、地球規模での野生生物の保護に貢献しています。

約4万種という数もさることながら、植物の多さに驚きました。
- 附属書 I
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● おおよその種数
約1,082種(動物:約755種、植物:約327種)● 保護内容
絶滅の恐れが極めて高い野生動植物が対象。
国際的な商業目的の取引は原則禁止されており、非商業目的(研究・学術・繁殖など)の場合でも、輸出国と輸入国双方の許可証が必要。● 主な対象例
🐼 ジャイアントパンダ(中国)
🐘 アジアゾウ、アフリカゾウの一部個体群(国によっては附属書II)
🐅 トラ全亜種(ベンガルトラ、シベリアトラなど)
🐠 アジアアロワナ(ワイルド個体)
🐢 タイマイ(べっ甲)● 備考
附属書Iに掲載されている種は、絶滅を防ぐための最も厳格な国際的保護対象です。商業目的での取引は基本的に不可能ですが、動物園間の繁殖協力や科学研究目的での例外的な移動は許可される場合があります。
また、合法な繁殖個体については附属書II扱いとして認められることもある(例:アジアアロワナのチップ登録繁殖個体)。 - 附属書 II
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● おおよその種数
約34,000種以上(動物:約4,800種、植物:約29,000種)● 保護内容
絶滅の危険は差し迫っていないが、今後の取引が野生個体数に悪影響を及ぼす可能性がある種が対象。国際取引は可能だが、輸出許可証が必要。多くの商取引が附属書IIで管理されています。● 主な対象例
🐊 ワニ・ヘビ・トカゲ類(イリエワニ、ビルマニシキヘビなど)
🦜 鳥類(セキセイインコ、オカメインコなど繁殖個体を含む多くの種)
🐟 観賞魚(アジアアロワナの一部個体群、ポリプテルスなど)
🪷 植物類(ラン科、サボテン科、薬用植物類の大半)● 備考
附属書IIの多くの種は、合法的な人工繁殖・栽培個体を対象とする取引が国際的に行われており、輸出国が許可証を発行することで実現可能です。
また、同種でも国・地域によって附属書が異なることがあります(例:ある国のゾウは附属書I、別の国では附属書II)。 - 附属書 III
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● おおよその種数
約200種前後● 保護内容
ある特定の国が単独で保護強化を要請し、他国にも協力を求めた種。
該当国からの輸出には許可証、他国からの輸出には原産国証明書が必要。● 主な対象例
🦌 シフゾウ(中国)
🐟 アメリカナマズの一部種(米国)
🪵 ローズウッドの一部(南米諸国)● 備考
附属書IIIは国内保護に国際的な協力を求めるための入口的存在ともいえ、附属書IIやIに「昇格」する前段階になることもあります。
📅 次回:第20回締約国会議(CoP20)
- 開催日:2025年11月24日〜12月5日
- 開催地:ウズベキスタン・サマルカンド(シルクロード・サマルカンド会議センター)
なお、締約国会議は以前は2年ごとに開催されていましたが、第13回以降はおよそ3年に1回のペースで開催されています mofa.go.jp。
次回会議では附属書の見直しや新たな保護提案などが議題となり、提出期限は2025年6月27日となっています 。
「明」条約が守った命
■ 絶滅危惧種の保護と流通の変化
かつて高級品として珍重されていたウミガメのこうら(べっ甲)や象牙製品が、日本の市場から姿を消しつつあります。




また、毛皮のコートも昭和の時代には「ステータスの象徴」でしたが、今では百貨店やアパレルでほとんど見かけることはありません。




海外でも変化が起きています。
セレブの間で人気だったクロコダイルやパイソンのバッグなどのエキゾチックレザー製品に対して、ハイブランドが製造中止や廃止方針を打ち出すようになり、ファッションの価値観そのものが変化しています。



欧米では特に批判の対象となり、毛皮や皮の衣装を着用してメディアに出演するセレブはいなくなりました。
■ 保護と回復の具体例


- 🦜 コンゴウインコ類(大型インコ)
ペット目的の密猟が激減し、保護区や繁殖プログラムが進展。現在は合法な繁殖個体のみが一部取引されています。 - 🐢 タイマイ(ウミガメ)
べっ甲目的の乱獲が深刻でしたが、取引禁止後はカリブ海や東南アジアの産卵地で個体数が回復傾向に。 - 🦎 アジアのオオトカゲやニシキヘビ
皮革目的の捕獲が抑えられ、合法的な飼育や養殖制度が導入されて、野生個体の負担が軽減されています。
■ 社会の意識も変わってきた
「買わない」「使わない」ことが正しいという価値観の広がりにより、動物性素材を避けた「エシカルファッション」や「ヴィーガンレザー」など、動物に優しい選択肢が定着し始めています。
ワシントン条約は、ただの法律ではなく、人々の意識を変えるきっかけにもなっているのです。
「暗」善意の条約が現場を苦しめる!?



ここからが本題です。そんなワシントン条約も“完璧”とはいきません。
■ ジンバブエのアフリカゾウ問題


アフリカ南部のジンバブエでは、長年の保護政策が功を奏し、現在では約22万頭以上のアフリカゾウが生息しているとされます。(2022年時点)
しかしこれは、生息環境の適正数を大きく超えており、農作物への被害・森林破壊・人身事故といった深刻な影響が各地で起きています。



増えすぎると餌が枯渇し、人間の住むエリアに進出してきます。更に草木を食べ尽くすことで、他の動物の絶滅に繋がります。
アフリカゾウには自然界での天敵がほとんどおらず、基本的に最大の脅威は人間だけです。そのため、適切に管理されなければ個体数は自然に増加していきます。
ジンバブエでは、かつての内戦が終結した後、ハイパーインフレや政治混乱により保護区の管理体制が崩壊し、長期間にわたってゾウの個体数が放置状態になっていました。
その結果、気が付いたときには想定を大きく上回る数のゾウが生息しており、生態系や農村生活への悪影響が顕在化するようになったのです。
そこでジンバブエ政府は、ゾウの個体数を管理するために間引き(culling)や合法的な輸出・狩猟による資金調達を提案しました。
しかし、ワシントン条約ではゾウは附属書Ⅰにあり、象牙や剥製の商業取引は全面禁止。たとえ合法な備蓄品でも、国外に販売して保護資金を得ることはできません。
このため、「ゾウを守るための条約」が、皮肉にもゾウの管理や保護活動に必要な資金調達を妨げてしまうという矛盾が生まれています。
現地では「動物の命が人間の暮らしより優先されるのか?」という不満の声も出ています。


アフリカゾウが増えすぎたジンバブエでは、やむを得ず駆除が行われていますが、ワシントン条約により象牙の販売ができず、保護区の管理費がまかなえない状況です。
一方、日本などではアフリカゾウの繁殖に多額の費用をかけていますが、生体の輸出が認められれば、駆除を減らしつつジンバブエに資金が入り、日本は無理な繁殖から解放されるという双方にとってメリットのある関係が築けます。
また、ゾウが減っている他国の保護区へ移送するという選択肢も現実的になります。



🐘アフリカゾウの繁殖が難しくて困っています。駆除するくらいなら売ってください。



🐘アフリカゾウが増えすぎて困っています。💵保護区の運営費が必要なので買ってください。
■ パンダ外交との対比


一方、同じ附属書Ⅰに指定されているジャイアントパンダはまったく異なる状況にあります。
中国は国家戦略として、各国の動物園にパンダを貸与し、年間100万ドル規模の「保護協力金」を得ています。
この資金は自然保護区の整備や研究活動に充てられ、保護と経済と外交が連動した成功モデルとされています。
つまり、同じ附属書Ⅰでも、パンダとゾウでは「保護のされ方」に大きな差があるのです。
それは単に条約の枠を超え、国の体制・国際関係・経済状況といった背景が強く影響している現実を物語っています。
附属書Ⅰに掲載されているジャイアントパンダが日本にいるのは、「貸与(レンタル)」という形式を取ることで、条約の規制を回避しているためです。
これは商業取引ではなく学術交流や繁殖協力という名目で行われており、合法とされています。
繁殖に成功したジャイアントパンダの子どもについて、「日本で生まれたのだから日本のものでは?」という声や、「契約上、中国に所有権がある」といった報道が見られますが、こうした表現には少し違和感があります。
そもそもジャイアントパンダはワシントン条約で最も厳重に保護された附属書Ⅰの動物であり、日本もその条約を遵守する立場にあります。
それを前提とすれば、パンダの所有権が中国にあるのは契約上だけでなく、ワシントン条約に基づいた当然の対応です。
しかし一部の報道では、中国側の立場について「日本で繁殖させた子供や、剥製まで所有権を主張するのはおかしい」「外交の駆け引きに利用している」といった印象で語られることがあり、本来の条約の趣旨や国際的な背景が見落とされているようにも感じられます。



生まれた子や剥製(遺体)が譲渡できるなら、象牙やサイの角も(遺体の一部なので)譲渡可能になります。中国政府は所有権を主張しているのはではなく、ワシントン条約の規定に従っているだけです。
日本でも同様のジレンマがある
日本でも、「守るべき動物」と「排除すべき動物」が共存する状況があります。


- 🦌 シカ:農作物被害や森林の食害から、計画的に間引きされている。
- 🐻 ヒグマ:人里への出没が増え、人命への被害から駆除対象になることも。
- 🦝 アライグマ:特定外来生物に指定され、積極的な駆除が推奨されている。
動物を「かわいいから守るべき」「危ないから排除すべき」と一括りにできない現実が、ここにもあります。
ワシントン条約に罰則はあるの?
ワシントン条約そのものには罰則規定はありません。
各国が自国の法律で実施し、違反者には国内法で処罰が科されます。
- 🇯🇵 日本:「種の保存法」に基づき、懲役刑や罰金刑が適用される。
- 🇺🇸 アメリカ:絶滅危惧種法(ESA)やレーシー法により、連邦犯罪として扱われる。
- 🇨🇳 中国:場合によっては非常に重い処分(実刑・死刑)も存在。



罰則が無いなら、双方の国が同意していれば売買しても問題無いと思いませんか?
ワシントン条約には刑罰のような強制力はありませんが、それでも多くの国がこのルールを遵守しています。
その理由の一つが、「国際的な信用」の維持です。
条約違反をすれば、他国からの信頼を失い、経済・外交・輸出入といった広範な分野に悪影響が及ぶ可能性があります。たとえば、生物資源の取引にとどまらず、農産物・工業製品・観光ビザなど、国全体の扱いが「信用できない国」と見なされかねません。
特に野生生物の輸出で外貨を得ている国にとっては、条約の信頼を失うことは経済的打撃に直結します。
そのため、多くの国は国家としての信用と利益のために条約を順守しているのです。



“条約を守らないヤバい国”と思われないために守っているのです。
「守る」とは何かを問う条約


ワシントン条約は、確かに多くの動植物を絶滅の危機から救ってきました。
しかしそのルールが、現地での管理・共存を逆に困難にすることもあるという現実は、あまり知られていません。
「守るべき命」は、誰が、どこで、どんな状況で語るのか。
そして、私たちはその命とどう向き合うべきなのか。
この条約の“明と暗”を知ることは、人と動物の未来の関係を考える第一歩になるかもしれません。
出典・参考リンク
🐘 ジンバブエのアフリカゾウ問題
- The Guardian(2023年7月13日)
「Zimbabwe to cull elephants to feed people after drought」
https://www.theguardian.com/world/2023/jul/13/zimbabwe-to-cull-elephants-to-feed-people-after-drought - Reuters(2024年5月29日)
「Southern African states make fresh pitch to trade $1 bln ivory stockpile」
https://www.reuters.com/business/environment/southern-african-states-make-fresh-pitch-trade-1-bln-ivory-stockpile-2024-05-29/ - Reuters(2023年9月17日)
「Zimbabwe to cull 200 elephants to feed people left hungry by drought」
https://www.reuters.com/world/africa/zimbabwe-cull-200-elephants-feed-people-left-hungry-by-drought-2023-09-17/ - Economic Times(2025年)
「Why Zimbabwe is culling elephants and distributing the meat」
https://economictimes.indiatimes.com/news/international/global-trends/why-zimbabwe-is-culling-elephants-and-distributing-the-meat-again/articleshow/121628329.cms
🐼 パンダ外交に関する資料
- DiploFoundation
「What is Panda Diplomacy?」
https://www.diplomacy.edu/topics/panda-diplomacy/ - Reuters(2024年6月18日)
「What is China’s panda diplomacy and how does it work?」
https://www.reuters.com/world/china/what-is-chinas-panda-diplomacy-how-does-it-work-2024-06-18/ - Zoo Atlanta
「Giant Panda Conservation」
https://zooatlanta.org/project/giant-panda-2/