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人気者に至る長き道のり -日本レッサーパンダ史-

レッサーパンダ大国・日本

動物園の人気者といえば、皆さんはどんな動物を思い浮かべるでしょうか?
「動物園の三種の神器」と呼ばれるゾウ、ライオン、キリンをはじめ、ジャイアントパンダやカバ、
コアラ、ペンギン、トラ、ゴリラなど様々な動物が挙げられることでしょう。

しかし、現在の日本の動物園には、上記以外にもなくてはならない存在と言えるほどの人気者がいます。
それは…

レッサーパンダです!!

現在、日本では全国の様々な動物園で飼育されており、特に中国産亜種・シセンレッサーパンダの飼育個体数は世界の7割以上を占めて文句なしのトップ!
動物園に来てその名を挙げない者などほとんどいない、文字通りのレッサーパンダ大国なのです!

海外の動物園では、ネパールやブータンにいるニシレッサーパンダの方が多く見られます。
シセンレッサーパンダよりも小柄で体毛が短いのが特徴です。

そんな彼らですが、実は、最初からキリンやライオンと肩を並べるほどの人気があったわけではありません。
彼らが人気者と呼ばれるようになるまでにかかった時間は、日本に初めてやってきた時から数えて…
なんとなんと90年!!

動物園の人気者の中では、日本の動物園に初めてやってきてからその名が全国に知れ渡るまで、群を抜いて長い時間がかかっているのです。
彼らが人気者と呼ばれるまでの90年の間にいったいどんなことがあったのか?動物園に欠かせない存在になるまでの長い道のりを見ていきましょう。

はじまりは上野から、そして阪神、横浜へ

日本でレッサーパンダの飼育が始まったのは、大阪で天王寺動物園が開園した年でもある1915年。
上野動物園に、雌雄1頭ずつがやってきました。

日本に初めてやってきたレッサーパンダのペア
(引用:「動物たちの130年 上野動物園のあゆみ」)


可愛らしい写真が残っていますが、この2頭は来園から1ヶ月ほどで死んでしまいました。
それは、飼育方法が確立されていなかったことに起因しています。

上野動物園は1890年代後半から1920年ごろまでにかけて、欧州の動物商を主な伝手に様々な外国の動物を導入し、その人気を上げていきました。
しかし、大半は飼育方法が確立されていなかったため、長生きした動物は少なかったようです。

その後、1938年に天王寺動物園に初めて来園したのが、今回調べた限りにはなりますが、第二次世界大戦前における最後の記録です。

Taisei

せめて当時からある動物園に取材ができれば…

時はしばらく流れ、終戦から28年が経った1973年。
野毛山動物園姫路市立動物園に、レッサーパンダが初めてやってきました。

奇しくも当時の日本は、上野動物園にジャイアントパンダのカンカン(♂)とランラン(♀)が来園したことを機とする空前の「パンダブーム」の真っ只中。
レッサーパンダも、ジャイアントパンダと同じく竹や笹の葉を食べる動物として話題を呼びましたが、やはりあちらには敵わず、全国的な知名度を得るには至らなかったようです。

しかし、そんな中でも良いニュースがないわけではありませんでした。
76年、開園から1年も経たない釧路市動物園が、日本初のレッサーパンダの繁殖に成功したのです!

さらに野毛山動物園でも、現在のレッサーパンダ舎ができた78年に赤ちゃんが誕生しています。

母親とその娘・アツコ
(引用:野毛山レッサーパンダヒストリー①~昭和編~|https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/nogeyama/details/post-1575.php)

繁殖にも成功し、ようやく長期飼育が軌道に乗り始めてきたレッサーパンダ。
1970年代は、日本レッサーパンダ史の最初の転換点となる時代だったといえます。

聖地・日本平、繁殖への挑戦

1980年、現在は「レッサーパンダの聖地」として知られる動物園に初めてレッサーパンダがやってきます。
そう、日本平動物園に。

日本平動物園 エントランスゲート
(引用:静岡市公式ホームページ|https://www.city.shizuoka.lg.jp/shisetsu/s0001089.html)

今でこそ日本最大級の繁殖拠点となっている日本平ですが、そこには苦労と努力の物語がありました。

当初は最初の2頭・タンタン(♂)とアンアン(♀)で繁殖が目指されましたが、アンアンは翌年の8月に敗血症で亡くなり、しばらくタンタンは独りぼっちに。
しかし、82年10月に新たなメス・ユイユイが来園。2頭は同居を始め、83年6月に三つ子が誕生しましたが、うまく授乳ができずに3頭とも数日で死んでしまいました。

その後、2頭は子宝に恵まれることはなく、86年にタンタンが亡くなり、今度はユイユイが独りに。
日本平は各園に依頼し、87年に京都からシンシン(♂)、88年に茶臼山動物園からミミ(♀)を迎え、この新たなペアで再び繁殖を目指すことに。
そして89年7月、ついに子どもが成育したのです

初めて成育した個体・キョンキョン
(引用:聖地「日本平動物園 」絶滅危惧種のレッサーパンダを救う日本平動物園|https://www.nhdzoo.jp/red-panda/seichi/index.html)

生まれたメスの子どもはキョンキョンと名付けられ、人工哺育で育てることになりました。
イヌ用の粉ミルクを毎日3~5回与え、床暖房とエアコンで常に部屋の温度を一定にするなど、献身的な工夫がされ、その結果…

国内で初めて人工哺育で6ヶ月以上の成育に成功し、
繁殖賞(人工繁殖)を受賞するという快挙!!

人工哺育の成功は、国内の動物飼育・繁殖技術向上に対する大きな貢献。これによって、日本平動物園はレッサーパンダ飼育・繁殖技術の先駆者として認められるようになり、またレッサーパンダは数々の人気動物を擁していた一つの動物園を象徴する存在となったのです。

繁殖賞とは、日本動物園水族館協会の加盟園館において、日本で初めてその動物の繁殖を成功(6ヶ月以上成育)させた場合に与えられた表彰のこと。
自然繁殖、人工繁殖、人工授精の3区分で表彰が行われていたが、2019年に廃止。代わりに「初繁殖認定」制度が2020年に開始された。

めでたく人工哺育が成功したは良いものの、その後長きにわたって日本平でレッサーパンダの子が生まれることはありませんでした。
しかし2003年、ナラ(♀・安佐動物公園生まれ)とフウフウ(♂・多摩動物公園生まれ)との間に、園にとっては14年ぶりの子どもが生まれます。

この14年ぶりに育った子ども、その名は「風太」!!
彼はのちに、レッサーパンダという動物の名を全国に知らしめる最大の立役者となるのです。

風太が生まれた後も、日本平のレッサーパンダ繁殖への挑戦は続きます。2004年から2010年までの間で計7回・12頭の子どもが生まれましたが、無事に育ったのはわずか4頭のみ。「生まれても育たない」状態が続き、飼育員さんたちにとっては非常に辛い時期だったそうです。
というのも、当時の日本平のレッサーパンダ舎は約33㎡の屋外放飼場、屋内展示場1つ、寝室2つという小さな獣舎で、計画的な飼育・繁殖は困難でした。

Taisei

レッサーパンダは繁殖期以外、オスもメスも基本単独で暮らす動物。
小さな獣舎ではなかなか繁殖がうまくいかないわけです。

しかし、2007年から開始された再整備計画によって、2012年にレッサーパンダ館レッサーパンダ飼育棟が完成し、10頭以上の飼育が可能な状態に。
現在は日本レッサーパンダ飼育の中枢として、今後の繁殖や飼育技術のさらなる向上に期待が持たれています。

風太くんとレッサーパンダブーム

2005年、ついにレッサーパンダが人気者となっていく最大のきっかけが起こります。
04年に日本平から千葉市動物公園に婿入りした風太後ろ足だけで直立し、その姿がマスコミに取り上げられ、全国的に話題を呼んだのです!!

直立する風太
(引用:人間なら70歳 レッサーパンダ「風太」15歳 今も直立|毎日新聞
https://mainichi.jp/graphs/20180705/hpj/00m/040/004000g/20180705hpj00m040039000q)

千葉市動物公園には全国から人々が詰め掛け、年間入園者数は前年比で約14万人も増加。風太は「立つレッサーパンダ」という二つ名がつき、写真集が作られ、缶コーヒーのCMにも起用されるほどの大スターに。
また、全国で「レッサーパンダブーム」が巻き起こり、他の動物園で飼育されている個体も話題になっただけでなく、多くの動物園がレッサーパンダを導入。

彼らは90年の時を経て、ようやく動物園の人気者の仲間入りを果たし、
日本はレッサーパンダ大国へとなっていったのです。

しかし、実はレッサーパンダが直立するのは周囲の様子をうかがうためのものであり、さほど珍しくはありません。
それでもなぜ、風太はあそこまで話題を呼んだのでしょうか?
飼育員によれば「風太は生後間もなく尻尾の先を母親に誤って噛みちぎられており、そのおかげで尻尾が邪魔にならず、美しく背骨を反らすことができた」とのこと。その姿がまるで人間のように見えて面白かったと、人々は思ったのかもしれません。

ちなみに、風太は人気だけではなく繁殖にも貢献しており、千葉で婿殿を待っていたチィチィとの間に8頭の子をもうけています。彼の血筋は子どもから孫へ、そのまた次へと続いていき、現在はなんと来孫までいるビッグなおじいちゃんに!そしてこの7月で22歳(人間年齢換算で100歳以上、国内最高齢)になりました!
彼の子孫たちは、今も全国各地の動物園で愛嬌を振りまいています。この記事を読んでいるあなたのお近くの動物園にも、いるかもしれませんね。

年を重ねていく中で白内障も患い、立つこともできなくなってしまった彼ですが、今までも、これからも、日本レッサーパンダ史のトップスターでありつづけるのでしょう。

最後に

いかがだったでしょうか。
以上が、動物園の人気者・レッサーパンダが歩んできた道のりです。

ここでは「人気者になるまで」に焦点を当ててお話ししましたが、動物園の動物の飼育にはそれぞれの歴史があり、その内容はロケットスタートから波乱万丈なものまで様々で、いずれにも飼育員をはじめとする動物園スタッフたちの挑戦や苦難の日々があります。
この記事を読んで「ほかの動物はどんな道のりがあったのだろう?」と興味を持っていただき、動物ごとの飼育史も動物園を彩る魅力の一部であることを知っていただければ幸いです。

参考文献・ウェブサイト

【書籍】
●東京動物園協会「動物たちの130年 上野動物園のあゆみ」ハッピーオウル社
 ↳ハッピーオウル社(https://happyowlsha.com/)
●静岡市立日本平動物園「静岡市立日本平動物園 公式ファンブック」株式会社静岡オンライン

【ウェブサイト】
●今も立てるんです レッサーパンダ風太、5日で15歳に|朝日新聞(https://www.asahi.com/articles/ASL7244V7L72UDCB00B.html)
●静岡市立日本平動物園(https://www.nhdzoo.jp/)
●地方独立行政法人 天王寺動物園(https://www.tennojizoo.jp/)
●野毛山動物園公式サイト(https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/nogeyama/)
●姫路市立動物園(https://www.city.himeji.lg.jp/dobutuen/)
●レッサーパンダの聖地 静岡市(https://www.nhdzoo.jp/red-panda/)

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この記事を書いた人

Taiseiのアバター Taisei 地方公務員

動物と動物園を愛してやまない公務員です。
幼い頃から何度も動物園に足を運び、図鑑や資料を読み漁って積み上げてきた知識を活かし「きっとあなたも、動物を、動物園を好きになる」そんな話題を提供したいと思っています。
推し動物は、瞳のつぶらな「アミメキリン」です。